小説風日記〜欧米調育ちの一日〜
2004年2月11日 〜日々笑い〜 吉野家がついに閉店に追い込まれたという記事を見た。
なか卯、すき家に続き、吉野家までが牛丼を手放してしまった。
悲しいことに、神戸ランプ亭は依然、いきいきとしている。
すこぶる牛丼を売っている。
食べおさめと言う事で長い行列ができたという。
その中に初めて来たおばさんのコメントが載っていた。
「話題になってて、来てみた。家で国産牛を使って食べた方がおいしい」
もはや、このおばさんの言葉にはあっぱれである。
あっぱれパプワ君である。
吉野家だって、いい肉を使い、時間をかけて出せばより良いものが出せるのだ。
それをあの早さ、安さで出してる所に魅力があるというのに、このおばさんはそんな事そっちのけである。
こんな文句を言ってる奴に限って、復活したらまたノコノコ吉野家で食ってそうで嫌である。
この頭にパーマをかけて、買い物袋を持ち、太り気味の50代後半に見えそうな40代中頃だろうと俺が想像するおばさんは、全国の牛丼ファンを敵に回してしまった事に気づいているのだろうか。
かわいそうな結末である。
と、俺はこの吉野家の記事を読みながら、腹が減ったので飯を作ろうと思った。
欧米調育ちの俺はナイフとフォークは華麗に使えるが、箸はチンパンジーレベルである。
箸レベル4といった所であろう。
吉野家でがつがつ食ってる人とは対照に、我が家では
「お食事をついばみなっさ〜い」
が合言葉である。
「こらぁ〜あ!たっけしぃー、はよ飯食えぇ〜」
という家とは違うのである。
「ついばみなっさ〜ぃ」
ついばめば、うまいのであ〜る。
ついばんだ方がうまいので、あ〜〜る。
今日は何を作ろうか、そう考えたが明日テストなので簡単に作って勉強をしようと思った。
そこでレトルトを見た。
中華丼、牛丼、カレーの3択であった。
俺はカレーを手にした。
悲しくも、牛丼には手がだせない貧乏根性が前面に出てしまった。
一人で嘆いた夕暮れ時であった。
欧米調育ちの俺がレトルトとサラダである。
昨日は納豆ご飯とサラダである。
もはや隠しても隠し切れない溢れんばかりのジャパニーズである。
ようやく湯が沸き、レトルトをご飯の上にかけ、机に運ぼうとした瞬間、俺の手から落下し、
カレーは無常にも床と一体化してしまった。
3次元から2次元世界へと羽ばたいて行った。
カレーは帰らぬカレーとなってしまった。
この帰らぬカレーが残した風味と片付けという仕事だけが、さみしくも今の俺に残されたカレーがあったという証拠であった。
今日の晩御飯はサラダと白米という何とも質素な結末を迎えた。
ただ、あの時、牛丼を手にせず、カレーを手にした俺には賛辞の言葉が鳴り止まない。
2日に1度ぐらいの好プレーであった。
また、明日を信じて、欧米調育ちの俺は箸で「ごはんですよ」をつっついていた。
TYPE S
なか卯、すき家に続き、吉野家までが牛丼を手放してしまった。
悲しいことに、神戸ランプ亭は依然、いきいきとしている。
すこぶる牛丼を売っている。
食べおさめと言う事で長い行列ができたという。
その中に初めて来たおばさんのコメントが載っていた。
「話題になってて、来てみた。家で国産牛を使って食べた方がおいしい」
もはや、このおばさんの言葉にはあっぱれである。
あっぱれパプワ君である。
吉野家だって、いい肉を使い、時間をかけて出せばより良いものが出せるのだ。
それをあの早さ、安さで出してる所に魅力があるというのに、このおばさんはそんな事そっちのけである。
こんな文句を言ってる奴に限って、復活したらまたノコノコ吉野家で食ってそうで嫌である。
この頭にパーマをかけて、買い物袋を持ち、太り気味の50代後半に見えそうな40代中頃だろうと俺が想像するおばさんは、全国の牛丼ファンを敵に回してしまった事に気づいているのだろうか。
かわいそうな結末である。
と、俺はこの吉野家の記事を読みながら、腹が減ったので飯を作ろうと思った。
欧米調育ちの俺はナイフとフォークは華麗に使えるが、箸はチンパンジーレベルである。
箸レベル4といった所であろう。
吉野家でがつがつ食ってる人とは対照に、我が家では
「お食事をついばみなっさ〜い」
が合言葉である。
「こらぁ〜あ!たっけしぃー、はよ飯食えぇ〜」
という家とは違うのである。
「ついばみなっさ〜ぃ」
ついばめば、うまいのであ〜る。
ついばんだ方がうまいので、あ〜〜る。
今日は何を作ろうか、そう考えたが明日テストなので簡単に作って勉強をしようと思った。
そこでレトルトを見た。
中華丼、牛丼、カレーの3択であった。
俺はカレーを手にした。
悲しくも、牛丼には手がだせない貧乏根性が前面に出てしまった。
一人で嘆いた夕暮れ時であった。
欧米調育ちの俺がレトルトとサラダである。
昨日は納豆ご飯とサラダである。
もはや隠しても隠し切れない溢れんばかりのジャパニーズである。
ようやく湯が沸き、レトルトをご飯の上にかけ、机に運ぼうとした瞬間、俺の手から落下し、
カレーは無常にも床と一体化してしまった。
3次元から2次元世界へと羽ばたいて行った。
カレーは帰らぬカレーとなってしまった。
この帰らぬカレーが残した風味と片付けという仕事だけが、さみしくも今の俺に残されたカレーがあったという証拠であった。
今日の晩御飯はサラダと白米という何とも質素な結末を迎えた。
ただ、あの時、牛丼を手にせず、カレーを手にした俺には賛辞の言葉が鳴り止まない。
2日に1度ぐらいの好プレーであった。
また、明日を信じて、欧米調育ちの俺は箸で「ごはんですよ」をつっついていた。
TYPE S
コメント